国際プロレス・今は亡き三羽烏

昭和プロレスファンならご存じのように、日本プロレスの三羽烏といえば、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、大木金太郎です。

では、国際プロレスの三羽烏は、といえば、グレート草津、サンダー杉山、木村政雄(後のラッシャー木村)です。まあ、彼らもみんな日本プロレス出身ですが。

豊登道春は別格という感じですね。

小林省三(後のストロング小林)、寺西勇、井上末雄(後のマイティ井上)が出てくるのはもう少し後。

ただ、ラッシャー木村と、ストロング小林のリングネームは、テレビ(TBS)で同じ時期に公募だったと思います。

「東京スポーツ」(5月26日付)には、ラッシャー木村さんを偲ぶ記事として、懐かしい国際プロレス時代の写真が公開されていました。
昭和プロレス銀座 国際プロレス


三羽烏だけでなく、一緒に写っている外国人も存命の方はおられないのではないでしょうか。ダニーホッジぐらいかな。昭和プロレスは遠くなりにけりです。

サンダー杉山が柔道着なのが目に付きます。
レスリングの前は柔道出身で、アントン・ヘーシンク対ゴリラ・モンスーンの柔道ジャケットマッチでは解説もつとめていましたね。

国際プロレス、当初のスターはグレート草津。ルー・テーズには敗れましたが、イギリス南部・西部とやらの2つのシングルタイトルを取らせました。

日本プロレスから引き抜いた二枚看板の片割れだったサンダー杉山には、豊登と組んでTWWA世界タッグのベルトを巻かせました。

次に売り出すストロング小林とラッシャー木村のために、いったんTWWA世界タッグは外国人にとられ、今度は杉山、木村組で奪還させました。

そして、体が空いた豊登は、今度はストロング小林とIWA世界タッグのベルトを巻きました。

さらに、シングル王者をビル・ロビンソンにしていたことから、グレート草津もまたプッシュし直さなければならず、今度はラッシャー木村と組ませて、ヨーロッパダッグ選手権なるベルトを取らせました。

この時点で、タッグタイトルは3つ。日本プロレスがインタータッグとアジアタッグですから、ちょっと過剰という感じですね。

しかも、TWWA世界タッグとヨーロッパタッグは自然消滅したし(笑)

豊登に追従した田中忠治には、IWAミッドヘビー級選手権なるタイトルを取らせ、その後、それは寺西勇がチャンピオンを名乗った後、いつの間にか違う名前でミレ・ツルノから阿修羅原が取ったことになっていましたね。

この団体の失敗は、タイトルが結果ではなく、はじめに戴冠ありきだったことかもしれません。

タイトルに説得力がないんですね。それは、結局興行として目玉を失うことになります。

日本プロレスは、ジャイアント馬場に、帰国してから2年間は、無冠どころか豊登に継ぐナンバー2をやらせていたのですから。

昭和プロレスもいろいろありました。


◆このカテゴリの関連記事
倉持隆夫著「マイクは死んでも離さない」の寂しさ
武藤敬司が4度目の右ひざ手術成功
前田日明が民主党に「話が違う」と激怒
西村修が参院選出馬宣言
ジャイアント馬場はケチではなくシビアだった!

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧:
国際プロレス・今は亡き三羽烏

このブログ記事に対するトラックバックURL:
http://www.webginza.com/mt/mt-tb.cgi/1515

コメントをどうぞ






RSS2.0