ジャイアント馬場とジン・キニスキーのインター戦を思い出す

ジン・キニスキーが亡くなった。
昭和プロレスファンなら、ジン・キニスキーのことを知らない人はいまい。

ジン・キニスキーで思い出すのは、やはりジャイアント馬場のインターナショナル選手権を奪取してロサンゼルスで初防衛戦を行ったことだろう。

日本テレビが元日に放送するため、テレビ局まで絡んだ「海外流出ストーリー」だったらしいが、
そんなことはどうでもいい。

子供心に、日本プロレス界の至宝が海外流出したのはショックだったし、
すでにアントニオ猪木が台頭していたので、これは猪木への
エース交代につながるのかと心配したものだ。

しかし、やはりインターのベルトはジャイアント馬場がもっとも似合う。
昭和プロレスファンなら、みな同じ認識だろう。

当時の実況では、解説の芳の里が、解説なのに、馬場が攻撃していると
「それいけぇ!」と野太い声援を送っていたっけ。

清水一郎アナの「ニッポンのチャンピオン、世界を狙います、ジャイアン『ツ』馬場」という名実況、篠原長昭リングアナの名調子も懐かしい。
昭和プロレスっていいね。

馬場さんの宿敵ジン・キニスキーさん死去

50?70年代に日米マット界で活躍した名レスラーで、故ジャイアント馬場さんの好敵手でもあったジン・キニスキーさん(カナダ)が、がんのため米ワシントン州ブレインの自宅で死去したことが14日(日本時間15日)、分かった。81歳だった。ここ数年は闘病生活を送っていたが、がんが脳に転移するなど病状は悪化。09年冬から入退院を繰り返していた。

 ファンク兄弟の父ドリー・シニアから手ほどきを受け、52年にデビュー。当たりの強さと粘り強いファイトスタイルで頭角を現した。66年には、無敵を誇った鉄人ルー・テーズから最高峰のNWA王座を奪い、3年以上も保持した。67年8月には、馬場さんと炎天下の大阪球場で戦い、65分にわたる激闘の末に引き分けた。お互いが「レスラー人生最高の戦い」と口をそろえる熱戦で、日本プロレス界に歴史を刻んだ。アントニオ猪木、坂口征二らとも戦い、92年に引退。その後も馬場さんの追悼興行などで来日していた。

 引退後はプロモーターとして活躍し、2人の息子もリングに上がるレスラー一家を築いた。同門だったドリー・ジュニアは「父の指導で大成し、わが家にとっても大事な存在だった。何しろタフで、いくら戦ってもケロッとしていたのに...」と絶句していた。(デーブ・レイブル通信員)

 [2010年4月16日7時47分 紙面から]
http://www.nikkansports.com/battle/news/p-bt-tp0-20100416-618643.html


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コメント(1)

きのこたろ〜 :

不死身だと思っていた、名レスラーの一人がまた旅立ってしまい…とても残念です…。

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