坂口征二がUN選手権奪取と新日プロ引き抜きを述懐する
「東京スポーツ」(2009年10月21日付)の坂口征二の連載は、坂口がロスへ飛び、キング・クローからUN選手権を奪還して帰国する件だ。とき1972年2月11日。
この時点で私は、クローがどんな選手なのか知らない。「元NWA世界王者のジン・キニスキーの秘蔵っ子らしい」程度の情報は聞いていたが、具体的にはサッパリ分からない。NETは猪木の抜けた穴を坂口で埋めるつもりだったので、どうしてもこのタイトルは取り戻したかったのだろう。
ロスで合流したミスター・モトさんは「NWA世界王者のドリーを100としたら、80程度の選手ヨ。サカが思い切り行けば必ず勝てる」とハッパをかけてくる。
私と入れ替わりで米国修行に出発し、社長と同じ「ヨシノサト(芳の里)」のリングネームでデトロイト地区で活躍中だった高千穂明久(後のグレート・カブキ)がロスへと駆けつけ、セコンドを買って出てくれた。
モトさんの指示通り、あえて気負わず戦うことを心がけた。1本日こそクローの肉弾ボディープレスに3カウントを許したが不思議ど焦りはない。2本日はジャンプしてのスリーパーホールドから必殺のアトミックドロップ6連発でフォール。
3本日はある程度、クローの攻撃を見切れていた。1本日と同じく、仕掛けてきたボディープレスを自爆させ、そのままアルゼンチン式背骨折りで担ぎ上げてギブアップを奪った。レフェリーのレッドシューズ・ドゥーガンから勝利を告げられ、セコンドの高千穂と抱き合って勝利を祝う。プロ入り5年目にして、ついに初のシングル王座を事にした。
この巻では、坂口がこの時すでに新日本プロレスに誘われていたことを述懐している。
控室でも諸先輩から若手選手まで、船出した猪木新日本の話題一色となっていた。この頃、マスコミでは猪木と坂口は「片手で何分」とか口げんかしていたはずだが、裏ではちゃっかり引き抜きをしていたわけだ(笑)
皆「一体、猪木はどこまでやれるのか?」と高みの見物といった感じではあったが、私はこの短期間で私財を投じつつ道場と合宿所を造り、旗揚げ戦までこぎつけてしまった猪木さんの行動力に驚かされていた。
猪木さんが去った後、徐々にだが会場の客足が落ちてきたのも確かだ。決して高みの見物をしている場合ではない。
実はこの時期、人を介して「一緒にやらないか?」と誘いを受けたこともあった。その時、私は「今の自分は日プロを守ることで精一杯で」と断らせていただいた。だが、この現状に不安も感じず?上から目線″で新日本の旗揚げをやゆする日プロ勢の姿勢に、やや不安も感じ始めていた。
猪木っていうのはすべてが「プロレス」なんだな。
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