坂口征二が明かす「外人天国」の背景

「東京スポーツ」(2009年7月29日付)より
1970年11月11日。アメリカ・テキサス州ルボックのフェアパークスタジアムで、ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級選手権に挑戦した坂口征二は、フルタイムドローの大善戦をした。そのときの話が「東京スポーツ」(2009年7月29日付)に書かれている。
またしてもNWA世界王座奪取はならなかった。だが、うれしいこともある。世界王者・ドリーと堂々、引き分けたことでアマリロでの私の評価が急上昇したのだ。
それまで、1試合のファイトマネーが200ー300ドル度だったのが、1試合につき1000ドルまた会場の客入りによっては2000ドルぐらいまでハネ上がることもあった。
まだ「1ドル=360円」の時代。1000ドルといえば日本円で36万円ということ。昨今のプロレス界は景気の悪い話題ばかりだが、当時のプロレスラーは、たったのl試合で一般サラリーマンの月収程度は十分に稼げていた計算だ。
過去3度の米国修行は、本当に右も左も分からぬ「プロレスラーの卵」としての修行だったが、アマリロではトップクラスの一選手としてブッキングされていた。(中略)
日本のプロレスラーが海外修行で、十分に稼げていたこの時代。選手個々の力量ももちろんだが、日本プロレスが海外とのパイプを実に大切に扱っていた点も大きい。
海外ブッカーを務めていたミスター・モトさんやデューク・ケオムカさんらの功績も忘れてはならない。日本プロレスの来日外国人選手への厚遇は米国内でも評判となっていたのだ。
馬場全日が外人天国というファンは多い。昭和時代の古き良きプロレスという意味だけでなく、外人を厚遇し日本人を冷遇したという馬場の経営センスを批判する意味もあるのだが、もともと外人天国の前提を作ったのは日本プロレスであり、それが全米マーケットとともに反映できた時代が確かにあったということだ。
そして、馬場全日は日本プロレスから独立して競合するところからスタートした。しかも、外人を1シリーズに7人呼ぶという日本テレビとの約束もあった。
馬場全日が「外人天国」なのは、そうした事情があったことも、ファンなら知っておくべきだろう。
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